· 

じゅん菜池緑地公園の文学碑と野外彫刻 根岸英之


じゅん菜池茶話会  シリーズ〈市川学〉へのいざない No 6 
じゅん菜池を考える会主催の「じゅん菜池茶話会」で話した内容をまとめました。
▶開催日 2026年1⽉31⽇(⼟) 13時30分~14時30分
▶場所  市川市西部公民館第1会議室 (市川市中国分 2-13-8、TEL047-373-8175)
市川市中国分のじゅん菜池緑地公園は、四季折々の自然に触れられる場所であるだけでなく、文学碑や野外彫刻など文化的な見どころも点在しています。
能村登四郎句碑「火を焚くや」、松沢敏行川柳碑「とっときの」、神作光一歌碑「夕焼けの」、土田副正彫刻「風を感じて」、とさかますみ彫刻「少年像」。
これらの作品と作者についてひも解きながら、文化・芸術の春としゃれ込みましょう!


0 〈市川学〉とは
〈市川学〉は、市川の郷土史研究家・鈴木恒男氏(1932―1998)が提唱したことばである。
彼の提唱を受けて、根岸による「暫定的な定義」として、本講座まで以下を用いてきた。
〈市川での自身の暮らしの中から、市川の魅力や課題を見つけ、「なぜ」と考えを深めてていく。自分にとっての〈市川学〉を、他の市民と分かち合いながら、関心の輪を広げていくことにより、市川を自分に根差したまちとして捉え、創造していく営み。〉
さらに、今回掲載するに当たって、新たに次のような定義をしていく。
市川学〉とは――
市川に関わることがらについて「問い」を持ち、その成り立ちや仕組みを明らかにし、よいところや変えたらよくなるところを考えていく。その取り組みを、ほかの人びとと分かち合うことで、市川を「私たちのまち」と捉える眼差しを広げ、よりよい暮らしを創り出していく営み。
詳しくは触れないが、柳田國男が標榜した「民俗学」を踏まえたものでもある。

1 能村登四郎(のむらとしろう) 俳句碑「火を焚くや」

▶場所  入口寄りの大池東側の藤棚近くの斜面下

▶作者  能村登四郎 1911(明治44)~2001(平成13) 東京(現・台東区)生まれ 

     1938(昭和13)~2001(平成13) 市川市八幡在住

▶作品  俳句碑「火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ」
▶制作年 1985(昭和60)年3月建立
 略歴は『市川の文学詩歌編』2011(平成23)市川市文学プラザを参照。
▶出典  第三句集『枯野の沖』1970(昭和45)牧羊社所収 表題句。
▶経緯  登四郎主宰の俳句結社「沖」の設立十五周年を記念して建立。「沖」の由来となった作品。
🔊能村登四郎「枯野・野たれ死への願望」『沖』昭和52年2月 
『増補能村登四郎読本』2000(平成12)富士見書房
〈枯野というものの私のイメージはいろいろある。遠野の旅で通りすぎた早池峰の麓の延々とつづいた枯野。はるかに湖の紺青がのぞく近江蒲生野の葭(よし)地帯。伊吹の山裾の冬枯れの景などの印象が頭の中に浮かんでくる。
 しかし別に旅に出ないでも、私の住んでいる市川でも家から十五、六分歩けば、刈田を抱いた蕭条(しょうじょう)とした葛飾の枯野らしい風景を見ることができる。よく晴れた日にはその枯葎(むぐら)の中に尉鶲(じょうびたき)の金茶色の可憐な姿を見かけることがある。そうしたいくつかの枯野の景が私の脳裡に重なったものが、私の作品の中にしばしば出てくる枯野である。
 火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
の句も、そんなイメージで作られた空想の枯野である。〉
🔊能村登四郎「自句自解」『増補能村登四郎読本』 
〈火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ(枯野の沖) 
 この頃、作品を発表すると叩かれた。何か実験しているようだが、試行錯誤で終り、成果は見えないとも言われて自信を全くなくしていた。そんな時にふわっと泡沫のように生れた句であった。発表した時、幾人かの人が褒めてくれた。大抵が前衛側の人のようだった。
 しかし、鑑賞するとまちまちで、とんでもない解釈をされていることもあった。だが話題になったことはたしかであった。火を焚いているのは作者か、他の人か、とか「枯野の神」とは枯野の果に海が見えるのか、とか、「誰かすぐ」とは人影が見えたのか、あるいは想像の人なのか、意見まちまちである。 
 この句については、本当はこうだという解答を未だ出していない。各人が自分の思うように解釈してそれでよければ結構だと思っていた。この句は昭和四十五年「沖」発刊のとき誌名にした。また句碑となって市川じゅん菜池畔に建っている。〉
この句は、登四郎氏の代表作の一つであるが、「自句自解」を読んでも、どういう景を詠んだかつかむことができない、俳句としては抽象度の高い作品といえる。それが、伝統俳句を継ぐ作者でありながら「前衛側の人」に評価されたという点につながるのだろう。火を焚いているのは作者か他の人か、「枯野の沖」とは海のことか枯野を海に見立てたのか、いろいろ解釈させる余地がある。
自身によれば、この句は「空想の枯野」であるといい、市川に見られる「葛飾の枯野」も含め「いくつかの枯野の景が私の脳裡に重なったもの」とある。また「各人が自分の思うように解釈してそれでよければ結構だ」ともいう。
じゅん菜池緑地を直接詠んだ作品とはいえないが、この池のほとりが建立場所に選ばれたのは、作品世界にそぐうと見なされたからであろうから、じゅん菜池緑地の景を重ねて鑑賞することも許されるだろう
「じゅん菜池緑地」は、1975(昭和50)年度から整備復原を進め、1979(昭和54)年にじゅん菜池緑地へと整備、1981(昭和56)年に都市公園として利用を開始した。整備されてまだ真新しい場所として、選ばれた側面も考えられる。
自身の主宰する俳句結社名の由来となった作品の句碑であることからは、登四郎氏や沖に関わる人たちにとって「聖地巡礼」の地とも言うことができるだろう。
登四郎氏の市川市内の句碑として、以下がある。
●春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」 1998(平成10)年建立 国府台スポーツセンター
●「ひらく書の第一課さくら濃かりけり」 2005(平成17)年建立 市川学園第一グラウンド
●「長靴に腰埋め野分の老教師」 1965(昭和40)年建立 市川霊園菅田家墓畔
(ほかに能村邸にあるが非公開)
レジュメ画像をクリックしてうまく表示されない場合は、「新しいタグで画像を開く」を試みてください。

2 松沢敏行(まつざわびんこう) 川柳碑「とっときの」

▶場所  入口寄りの大池東側の渡り橋と四阿(あずまや)近くの斜面下
▶作者  松沢敏行 1923(大正12)~1995(平成7) 東京(現・荒川区)生まれ 本名博
     不明~1995(平成7) 市川市八幡在住
▶作品  川柳碑「とっときの唄めずらしく母が酔い」
▶制作年 1996(平成8)年4月建立

  略歴は『市川の文学詩歌編』2011(平成23)市川市文学プラザを参照。

▶出典  『川柳句集 たらちね 松沢敏行作品集』1982(昭和57)川柳新潮社 所収
▶経緯  前年死去した氏の顕彰のため建立
🔊碑裏
〈松沢敏行先生は、川柳の中興の祖、阪井久良岐翁の遺志を継がれた吉田機司師の直門/
として夙に頭角を現わし、同師の歿後、市川市に川柳新潮社を興し、続いて県内各吟/
社に呼び掛け千葉県川柳作家連盟を結成、その会長として三十余年の長きにわたり各/
地の川柳普及活動に尽力、かつて川柳不毛の地といわれた千葉県を全国屈指の川柳王/
国にまで指導育成された業績は恂に顕著であり普く県内外に知られるところでありま/
す。不幸にも病を得られ平成七年七月二十五日不帰の客となられました。(享年七/
十三才)ここに友人門下生一同企り、先生の偉業を長く後世に顕彰するため自費の/
句碑をここに建立するものであります。
平成八年四月吉日 松沢敏行先生句碑建立委員会
         西村在我/若生茂/平岩午白/川鍋希芳/河野十九人〉
🔊『川柳句集 たらちね 松沢敏行作品集』
〈「母」(抄出)
一つだけ母七草の名を忘れ
旅に出る母こまごまと留守のこと
子に嫁を貰い出好きな母となり
ヘソの緒が母の小筥で干物じみ
梅干の種小半日母ふくみ
笹竹に文字がやさしい母の和歌
まだ母の耳に「りんごの歌」が生き
母はもう居ない階段別な音〉

 

〈四十余年にわたり茶道・花道の教授として、知名人や数多くの門下に接しているくらいだから、その勉強ぶりも当然ではあるにしても、寸暇を割いて、ある時は謡曲を習い、あるときはまた三味線の師を迎えるなど、道を求めてやまぬ意欲にはまったく敬服の一語につきる思いである。〉 
〈母を亡くした一月二十二日からは、まことにあっという間の月日の流れであった。 
 お通夜から四十九日までを慌しく送った葬儀の連続は、私にゆっくり悲しみを噛みしめる時間の余裕を与えてはくれなかった。が、まもなく百ヶ日を迎えようとするこの頃、私はようやくにして母の位牌の前で静かな追憶にふけることが出来たのである。 
 灯明のゆらぎを見つめながら四十八年の母との過ぎし日を思い浮かべるとき、それはまるで鮮明なフィルムとなって懐しい光景を点滅してくれるのだった。しかし、想い出のアルバムの大半のシーンは、功成り名遂げた晩年のそれでなく、ネクタイのセールスまでして一家の生計を支えていた若い頃の母ばかりなのも不思議である。これは、当時小学生だった私の眼に、逞しい女性としての母が強く印象づけられていたせいであろう。 
 自分に厳しかった母。 勝気であったが優しかった母。 その母は、今、仏壇の中で安らかな眠りについて居る。 
 (昭和46 •4)〉 
松沢氏は、いずれも市川市に暮らした川柳作家・阪井久良岐(さかいくらき)とその弟子の吉田機司(きじ)に連なる川柳作家である。その経歴は碑の裏面に刻まれている。
句の所収された『川柳句集 たらちね 松沢敏行作品集』には、「母」を詠んだ川柳が多く収められている。折りに触れて書かれた随筆からも、母への思慕が伝わってくる。
句は、茶道や花道や芸事に通じた母が珍しく酒に酔い、普段は唄うことのない「とっときの唄」を口ずさむ母を詠んでいる。「とっておき」が「とっとき」とあるところに軽みと母への親近感がにじむ。母想いの作者らしい顕彰碑といえる。
じゅん菜池緑地を直接詠んだ作品ではないが、松沢氏は能村登四郎氏や氏の子息で主宰を継承する能村研三氏とも親交があり、あるいは先に建立された登四郎氏の碑のあるこの場所が選定されたことも考えられる。
市川を代表する川柳作家の碑として存在している価値は大きい

3 神作光一(かんさくこういち) 短歌碑「夕焼けの」

▶場所  茶室「登龍庵」と大池の間の湧水そば
▶作者  神作光一 1931(昭和6)~2025(令和7) 千葉県市原市生まれ
     1959(昭和34)~2025(令和7) 市川市本北方・八幡在住
▶作品  短歌碑「夕焼けの移ろひまでも映しつつやがて暮れゆく大きなる池」
▶制作年 2006(平成18)年3月建立

 略歴は『市川の文学詩歌編』2011(平成23)市川市文学プラザを参照。

▶出典  第五歌集『去年の風花』2020(平成22)角川書店 所収
▶経緯   氏が代表を務める「花實短歌会」により建立。
     前年5月、日本歌人クラブ会長に就任。建立年3月、市川市政功労賞受賞。
🔊神作光一「自解」『歌人・平安朝文学研究者 神作光一のひもとく和歌の世界』市川市文学ミュージアム 2014(平成26) 
〈じゅん菜池は、市川市の四季折々の自然が楽しめる緑地公園にある。池には鳥も訪れ、昼なかは明るい日差しに包まれている。時間の微妙なる経過と共に夕焼けの色のうつろいまでも、水面に映しながら、暮れかかっていく大きな池。その情景のなかに佇み、私は大いなる自然の営みを実感した。〉
 
🔊神作光一「大きなる池」 『去年の風花』
〈今朝も亦(また)犬走らする少年に出会ひ声掛く散歩の街に
 少年がクラリネットを懸命に吹き鳴らしゐる公園の隅
 只管(ひたすら)に雀ら砂を浴び続く春あたたかき日ざしのもとに
 須臾(しゅゆ)にして消えゆくものの一つなりされど目交(まなかひ)に浮かび来る虹
 瑠璃色に尾羽のあたり光らせつつ翡翠(かはせみ)飛び来て忽ちに去る
 ゆくりなく池の鯉跳(は)ねそのあとに庭の静けさ再び戻る
 夕焼けの移ろひまでの映しつつやがて暮れゆく大きなる池〉
この短歌は、連作「大きなる池」の最後に配された作品で、自身が解釈するように、じゅん菜池緑地を詠んだものである。神作氏は、文語体ながらも平明なことばを心がけた歌人であり、連作の他の短歌と読み合わせると、一段と池のさまざまな光景が具体化される。じゅん菜池緑地にふさわしい短歌碑である。建立当時、日本歌人クラブ会長に就任しており、当時の短歌界を代表する歌人の文学碑が建っていることも誇らしい。
神作氏の市川市内の句碑として、以下がある。
●「古木なるしだれ桜を仰がんとひたすら登る御寺への道」 弘法寺 2013(平成25)年4月建立

 


4 土田副正(つちだそえまさ) 野外彫刻「風を感じて」

▶場所  入口寄りの大池東側の公園広場の一角
▶作者  土田副正 1950(昭和25)~ 福島県生まれ 市川市曽谷在住
▶作品  野外彫刻 「風を感じて」
▶設置年 1986(昭和61)年3月設置
▶経緯   昭和60年度市川市野外彫刻設置事業(市制施行五〇周年記念事業)

 

🔊「街かどミュージアム 野外彫刻をたずねて(3) じゅん菜池緑地「風を感じて」(土田副正作)
 『広報いちかわ』2002(平成14)年6月8日号
〈じゅん菜池緑地は、国府台と国分の台地の間に深く入り込んだ古くからの沼を、昭和54年に整備復元したもので、今は斜面林の緑が初夏を感じさせてくれます。この水と緑の憩いの場にたたずむ彫刻が、土田副正さん作の「風を感じて」(昭和61年3月設置)です。
 土田さんは、永らく市川に在住し市川美術会理事などを歴任、現在は日展会員として活躍されています。
 この作品は、さわやかなじゅん菜池のイメージを、のびやかなポーズの中に表現しています。上に伸ばした右手は、これからの未来を暗示させているそうです。「風を感じて」の題名も、じゅん菜池緑地の緑に囲まれた池と木々の間を流れる風のイメージから付けられました。〉
この彫刻は、今回紹介する文学碑と野外彫刻の中で、一番誰もが目を留めている作品であろう。『広報いちかわ』の記事を読むと、じゅん菜池をイメージした作品ということが分かり、ますます緑地とマッチした彫刻であることが理解できる
土田氏の市川市内の野外彫刻として、以下がある。
●「水面の風に」1990(平成2)年設置 南行徳公民館
●「夏の日」1991(平成3)年制作 須和田公園
(制作年は市川市文化国際部文化芸術課に確認。設置は市川市公園緑地課。設置年は不明とのこと)

🔊千葉県の彫刻 市川市1~47

 https://takay36.blog.jp/archives/8875484.html

🔊こんなにある市川の野外彫刻(1)


5 とさかますみ(登坂真澄) 彫刻 「少年像」

▶場所  バス道路に面した「じゅん菜池緑地 周辺案内図」石版の左上
▶作者  とさかますみ(登坂真澄) 1947(昭和22)~ 東京都生まれ 静岡県静岡市在住
▶作品  彫刻 「少年像」
▶設置年 1987(昭和62)年設置
▶経緯  不明
とさか氏(以前は登坂真澄を使用)は、1974年、東京芸術大学大学院彫刻専攻修了し、1983年より一陽会会員として活躍する彫刻家。19987年に「楽器を奏でる少年像」(千葉県)、1988年に「お万の方像」(千葉県勝浦市)、「かたつむりの時計塔」(千葉県芝山町)、1991年 に「朝陽と夕音」(江戸川区)を手がけるなど、1990年前後に千葉県の作品が多く制作されており、じゅん菜池緑地の彫刻も、こうした関わりの中で依頼されてものと見られるが、詳細はまだ調査できていない。
見過ごされやすい可愛らしい彫刻であるが、訪れる人をやさしく出迎えてくれる、無くてはならない作品となっている
とさか氏の市川市内の野外彫刻として、以下がある。
●「ばらを抱く少女」1989(昭和64)年 大町公園バラ園
 (夫・登坂秀雄「少女と小鳥」同時設置)

🔊千葉県の彫刻 市川市1~47

 https://takay36.blog.jp/archives/8875484.html

🔊清新町緑道   https://publisann.com/category/tokyo/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA/%E6%B8%85%E6%96%B0%E7%94%BA%E7%B7%91%E9%81%93/


6 じゅん菜池緑地公園の魅力

じゅん菜池緑地公園は、豊かな自然に触れられることはもちろん、それだけでなく、文化的な見どころもある場所となっている。
文学碑について見れば、日本の短詩型文学の「短歌/俳句/川柳」の三分野の碑がそろってあるところは、案外珍しいのではないだろうか。
文学碑と野外彫刻は、歩いて行くことのできる国府台の里見公園にも設置されており、市川市北西部の「水と緑の回廊」は、「文学碑と野外彫刻の回廊」でもあるといえる。
また、これまで取り上げてきた「姫宮」のほか、茶室「登龍庵」(昭和61年寄贈、平成17年増改築)もあり、じゅん菜池緑地公園の魅力を広く認識してもらいたい。
ただし、現在は文学碑や彫刻が何の説明もなく設置されているだけなので、大きな案内板でなく小さなプレートでかまわないから、作家名、作品名、設置年月の表示と、詳しい解説はQRコードでインターネットサイトへ誘導するなど、ひと手間はかけたいものである。