ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)「鳥取の布団の話」セツの語り聞かせ風再話 根岸英之


ラフカディオ・ハーン「鳥取の布団の話」
千葉県市川市の市川公民館での講座「小泉八雲の世界―〈怪談〉が深く結びつけたヘルンさんと妻節子」(2026年1月14日)の後半では、ハーンの〈怪談〉作品から、「鳥取の布団の話」「水飴を買う女」「雪女」を取り上げ、朗読を通して作品世界に触れてもらいました。

 

「鳥取の布団の話」は、翻訳されたテキストではなく、自身で「セツの語り聞かせ風再話」をしたテキストで、読み語りをしてみました。YouTube動画として公開しました。
「水飴を買う女」「雪女」は、先の投稿で触れましたので、ここでは、「鳥取の布団の話」について取り上げていきます
「鳥取の布団の話」は、小泉八雲と改名する2年前の1894(明治27)年9月にラフカディオ・ハーンとして出版された『知られぬ日本の面影』(英語)に記載された話ですので、ハーンを用います。

『知られぬ日本の面影』初版本

 

出典 Facebook Lafcadio Hearn Memorial Museum(小泉八雲記念館)

 

🔊https://www.facebook.com/hearnmuseummatsue/posts/pfbid0XfS9BC4XmwVqXf3F55S9EGtUBXPswVJ5eecVyv1EEDPPyDbEGejiYcyLuyhJkN7Ql


1 鳥取の布団の話
ラフカディオ・ハーン「鳥取の布団の話」は、『知られぬ日本の面影』の「日本海に沿って」に記載された話。
鳥取市気高町浜村温泉の伝説とされる。
原著では、旅館の女中から聴いた話と記されているが、実際は、セツの最初の結婚相手である旧鳥取藩の足軽の二男で28歳の婿「稲垣為二」から聴いた話で、セツが一番最初にハーンに語ったものである。 

 

〈八雲とセツが結婚後、1891年に新婚旅行で訪れたのが鳥取の浜村温泉(現・鳥取市気高町)。
その滞在中、八雲は旅館の女中から一つの怪談を聞きます。〉

 

🔊「小泉八雲とセツの山陰旅」「とっとり旅」

〈鳥取のふとんの話。小泉セツが八雲に語って聞かせた浜村温泉(鳥取市)に伝わる昔話を再話した怪談。〉

 

🔊小泉一雄『父小泉八雲』小山書店 1950 長男
〈(母セツが)父に最初に試みた話というのは、『鳥取の蒲団の話』であった。これは鳥取から来た稲垣(セツさんの養家)の聟(むこ)為二より聴いた話であった。夜中、『兄さん寒かろ』『お前寒かろ』といって泣く蒲団の怪談を母が語った時、父は『あなたは私の手傳い(てつだい)出来る仁です』といって非常に喜んだとの事である。〉
(本稿は、小泉凡『セツと八雲』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したもの)
〈八雲が松江に来てまもなく聴いた怪談は「鳥取の布団」でした。
紀行文「日本海に沿って」(編集部注/小泉八雲が来日後初めて著した作品集『知られぬ日本の面影』〔1894〕収録)では旅の途中、宿の女中から聞かされたことになっていますが、実際はセツが語り伝えたようです。
そしてこの物語は、ほかならぬ鳥取出身の前夫、為二(編集部注/セツが18歳で結婚した相手)から教えられたのでした。
セツは彼の出奔によって、死にたくなるほど悲しい思いをさせられた、といいます。でも、為二に聞かされた哀切なお話は忘れられなかった。とことん物語を愛するセツならではの感受性だと思います。〉
〈幼い頃から物語の世界にひたってきたセツにかかると、こんな情景も八雲の目に浮かぶような響きで迫ってきたのでしょう。
「あなた、私の手伝いできる人です」
聴き終わった八雲は、たいへん喜びました。再話文学(編集部注/神話、伝説、昔話や古典文学などの物語を、現代の読者や子供に理解しやすいように書き直された文学作品)の創作を支える「リテラリー・アシスタント」のセツが誕生した瞬間でした。〉
〈最も身近な女性を「語り部」とし、伝承者として再話した物語を紡いでゆく。そんな風に八雲とセツの、創作上も支え合う間柄が築かれてゆきます。
話によって八雲は泣き、セツも泣いて話し、泣いて聴いて、書いたものだといいます。八雲が他界した1904(明治37)年に刊行された『怪談』が『KWAIDAN』と表記されているのは、セツが出雲の言葉で話したからです(編集部注/出雲地方では、「か」を「くわ」と発音する場合がある)。
〈八雲に怪談を聞かせる情景をセツは後に、『思ひ出の記』にこう書き残しています。
「淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時にはことに声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまたいかにも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです」
こんな風に語り聞かせていると、八雲からリクエストがとんできます。〉

 

〈セツさんにこの怪談を教えてくれたのは、銀二郎のモデルである鳥取の士族・前田為二さんでした。彼はセツさんと同じく、物語好きな人物だったそうです。1886年にセツさんと結婚した為二さんは、婿入りした稲垣家を1887年に出奔してしまいましたが、彼女の人生の転機となる重要な怪談を残しています。〉

〈セツさんが初めてハーンさんに怪談を語ることになったとき、ちゃんと「自分の物」になっている物語として最初に出てきたのは、為二さんとの思い出の詰まった「鳥取の布団」だったのかもしれません。〉

 

🔊https://www.facebook.com/akiyuky/posts/pfbid032htbX9qKMfXQUe18mToS9vRY3YovhUvLyUgtJtwAU4TuwfsHuLFXKPXm7fGCnWNGl


2 「鳥取の布団の話」セツの語り聞かせ風再話(YouTube動画)

市川公民館の講座では、ラフカディオ・ハーンの英語原著『知られぬ日本の面影』「日本海に沿って」のテキストを元に、妻セツがハーンに語り聞かせしている語り口風に再話を試みた。

実際にセツがハーンに語った話は、もっと描写の少ないものであり、ハーンの筆によってディテールが書き込まれ『知られぬ日本の面影』に収められたと考えられる。
しかし、セツが最初にハーンに語り聞かせた話であることが知られており、その関係性を浮かび上がらせる試みとして、読み語りテキストを採用してみたものである。
出雲方言風なニュアンスの再話テキストとイメージ絵の作成は、ChatGPT(ユッキーAI)の力を借りた。

 

読み語り: 根岸英之
再 話 : 根岸英之 ユッキーAI
絵   : ユッキーAI

「鳥取の布団の話」セツの語り聞かせ風再話テキスト  

 再話:根岸英之 ユッキーAI

【  】は動画との異同箇所

むかしむかしのことでございます。

鳥取の町に、たいそう小ぢんまりとした宿屋が一軒できました。

宿を開いていちばん最初のお客として、行商の男が泊まりに参ったのです。

宿の主は、評判を立てたい一心で、いつにも増して気を配り、丁寧に客を迎えました。

新しい宿ではありましたが、主はあまり裕福でなく、

箪笥や座敷道具などは、みな古手屋で買いそろえたものでした。

それでも掃除だけはよく行き届いており、

どれも見た目はきれいで、居心地は悪くなかったのでございます。

客は、腹いっぱい食事を済ませて、ほどよく温められた酒をぐいとあおったあと、

柔らかく整えられた寝床の上に、そのままごろんと身を横たえました。

 

さて、その夜は、ひどく涼しゅう【さびしゅう】ございまして、心地よい寝床でもあり、

あれほど酒を飲んだあとなれば、たいていの人は朝までぐっすり眠れるはずでございました。

ところが、客は、ほんの少し居眠りをしただけで、はっと目を覚ましたのです。

と申しますのも、部屋の中から、声が聞こえてきたからでございます。

それは、子どもが、同じ言葉を何度も何度も、互いに問いかけるような声でございました。

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

そう繰り返し聞こえる声でございました。

 

日本の宿屋というものは、部屋と部屋の間は、紙を張った襖で仕切られてあるだけで、

西洋の宿のように、堅く閉まる扉があるわけではございません。

ですから、部屋の中に子どもがいるとなれば、気にはなりますが、

さほど肝を潰すほどのことでもございません。

暗がりの中で、どこぞの子どもが間違えて、座敷へ迷い込んだのであろうと、

客はそう思ったのでございます。

そこで、腹を立てるほどのことでもなく、少しばかり声を落として、

軽く小言を申しましたところ、そのあとは、しーんと静まり返りました。

ところが、しばらくすると、今度は耳のすぐそばで、やさしく、か細く、

なんとも言えず哀れな声が、こう問いかけてきたのです。

「あにさん、寒かろう」

すると、間を置かず、別のやさしい声が、いたわるように答えました。

「おまえ、寒かろう」

 

客は驚いて跳ね起き、行灯の火をつけ直し、部屋中を見回しました。

けれども、子どもの姿はひとりも見えません。

障子はすべて閉まっており、押入を開けてみても、何もございませんでした。

不思議に思いながら、また布団に横になりますと、

今度はすぐ枕元から、また同じ声が聞こえてきたのです。

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

それは、夜の冷え込みとは異なり、ぞくりと骨に染み入る【込む】ような寒さで、

客の体を包み込むのでございました。

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

声は何度も何度もそう繰り返します。

その声は、自分の布団の中から聞こえてくるので【ござい】した。

 

客はすっかり仰天し、荷物を手当たり次第かき集めると、転げるように階段を下り、

宿の主を叩き起こして、起こったことを、ありのまま話しました。

すると主は、たいそう腹を立てて、

「客人に喜んでもらおうと【思うて】、できるかぎり整えた宿でございます。

お前さん、酒を過ごして、悪い夢でも見なさったんでしょう!」

そう怒鳴り返しました。しかし、客は聞こうともせず、宿代を払うと、

よその宿を探すと言うて出て行ってしまいました。

 

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次の晩、今度は、ひと部屋借りたいと申す別の客が泊まりました。

ところが、その客もまた、夜更けになって、同じ声で起こされたのでございます。

この客は、酒など一滴も口にしておりませんでした。

主は、誰かが妬みから宿を潰そうとしているのではないかと疑い、

怒りにまかせて言い返しました。

「客人に喜んでもらおうと、できることはみな、きちんとしておるのです。

それを何と申すか、不吉だの、忌まわしいだのと、

そんな悪態は言わんでごしない【悪態ばかり申されて】。

この宿屋には、わしの暮らしが、すべて懸かっておるんじゃ。

【あんたも、それはお分かりのはずじゃろう。】

どげして、そのような言いがかりをつけるんじゃ。不行き届きめ!」

そう言われて、今度は客のほうが腹を立てて、

さらにひどい悪態をついて大声で浴びせたのです。

ついには二人とも火が付いたようになって、とうとう喧嘩別れとなってしまいました。

 

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さて、客が出て行ってしまったあとでございます。宿の主は、どうにも腑に落ちず、

空いている部屋へ、のこのこと上がって行きました。

そして、件(くだん)の布団を調べながら、その部屋におりますと――

子どもの声が、まことに布団から、

たった一枚の掛け布団から聞こえてくるではありませんか。

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

そこで主はようやく、客の申していたことは、みな真実であったと、思い知らされたのです。

声を出すのは、その一枚の掛け布団ばかりで、

ほかの布団はしんと黙ったままでございました。

主はその掛け布団を抱え自分の部屋へ持って行き、その晩は朝が来るまで、

その下で寝てみることにいたしました。

すると、夜明け近うなるまで、声は絶え間のう続いたのでございます。

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」

とても眠れるような有り様では、ございませんでした

 

夜が明けると、主はその布団を買うた古手屋(古道具屋)のおやじに会いに出かけました。

古手屋は「何も知らん」と申します。

ただ「仲間の小さな店からそれを買うたんじゃ」と言うばかりでございました。

その小店(こだな)の主人を【に】訪ねますと、今度は、「町はずれにある貧しい家からそれを買い取ったんじゃ」と申します。

主は、そこからその貧しい家へと、次から次へ尋ね歩きました。

そうして、ようやく分かったのは、その布団は、町はずれの小さな家に住んでいた、

ある貧しい家族のもので、その家の大家から、

古手屋が買い取ったものであった、ということでございました。

そして、こさまの布団には、次のような因縁があったのでございます――。

 

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その小さな家の家賃は、ひと月に、わずか六十銭でございました。

それでも、貧しく暮らす者にとっては、たいそうな負担であったのです。

ととは働いても、ひと月に、二円か三円ほどしか稼げず、

かかは病で、外で働くこともできませんでした。

その家には、二人の子どもがおりました。

六つと八つの、あにとおとの兄弟でござい【あり】ました。

そのうえ、鳥取ではよそ者で、助けてくれる者も無かったのでございます。

 

ある冬の日のこと、ととが病に倒れ、七日も苦しんだ末、

とうとう息を引き取り、土に埋められました。

そのあと、長う患うていたかかも、ととを追うようにして、亡くなってしまいました。

こうして、子どもらは、身寄りも無いまま、この世に残されたのでございます。

誰も助けてはくれません。

残っている物を、少しずつ売って、暮らしていくより仕方がありませんでした。

亡くなったととやかかの着物、【それに、自分たちの持っていた物のほとんど――

木綿の布団が何枚か、それに火鉢や皿、お椀や茶碗といった、

わずかな家財道具ばかりでした。】

それを、毎日ひとつずつ売っていき、

とうとう残ったのは、一枚の布団だけとなってしまいました【でございました】。

食べる物も無くなり、家賃を払えぬ日が、とうとう訪れたのでございます。

 

それは、恐ろしい大寒の頃でございました。

吹き寄せる雪は激しく、家の外を歩き回れるような有りさまでは、もはやありません。

二人の子どもは、たった一枚しかない布団の下へ、

身を寄せ合って、潜り込むより【しか】ほかありませんでした。

寒さに震えながら、子どもたちは、子どもながらに、互いをいたわり合い、

「あにさん、寒かろう」

「おまえ、寒かろう」 

と、声を掛け合っていたのでございます。

家には、火も無く、火を焚ける物も【なく】、何ひとつ残っておりませんでした。

やがて外は、すっかり闇に包まれ、凍える風が、ぴゅうぴゅうと音を立てて、

小さな家の中まで吹き込んできました。

 

二人は風も恐ろしゅうございましたが、それ以上にもっともっと恐ろしかったのは、

家賃の取り立てに来る大家でございました。

その男は、顔つきも意地悪で、情け容赦のない者でした。

何も払えんと分かると、子どもらを雪の中へ追い出し、たった一枚しかない布団までも取り上げて、家に鍵をかけて去ってしまったのでございます。

子どもらは、薄く青い着物を、一枚きり身につけているだけでございました。

ほかの着る物は、食べ物を買うために、すべて売ってしまっておりました。

行く当てもございませんでした。

遠くない所に、観音さまのお堂があると申しましたが、

雪が激しく、そこまで行くこともできませんでした。

 

大家が去ったあと、子どもらはそっと家の裏かげへ戻ってまいりました。

そうするうちに、寒さのため、だんだんと眠とうなってまいりました。

二人は、互いに身を寄せ、抱き合うようにして、そのまま眠りについたのでございます。

すると眠っとる間に、神さまが、二人の上に新しく何ともいえんほど【いえない】

白うて美しい布団を、掛けてくださったのでございます【くださいました】。

それはそれは美しい布団でございました。

二人はもう、寒さも何も、感じんようになりました。

 

幾日もの間、子どもらは、その布団【の下】で眠り続けました。

やがて、どこぞのものが二人のことを見つけました。

そして、千手観音のお堂の墓地の中に、二人の寝床をこしらえてやったのでございます。

 

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こうした話を聞いた宿屋の主は、二人の小さな御霊のために、寺の坊さんにお経を読んでもろうて、手厚う供養してもろう【と】て、その布団をお寺へ納めました。

布団はそれぎり、二度と声を出すことはのうなったのでございます。


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3 西成彦『耳の快楽 ラフカディオ・ハーンと女たち』の問い

先行研究では、セツがハーンに語り聞かせした行為について肯定的見解の多いなか、西成彦『耳の快楽 ラフカディオ・ハーンと女たち』(紀伊國屋書店 2004)における挑発的な言説は、自身にとっても課題として残っているので、補足的に触れておきたい。

 

🔊西成彦『耳の快楽 ラフカディオ・ハーンと女たち』紀伊國屋書店 2004 
〈文字に縛られてはならない、語り口に粉飾を凝らすな、話す内容にかってに検閲を加えるな、ましてや母語以外のことばで語ろうなどとはゆめにも思うなというのは、近代的な啓蒙主義が、被教育者に求めた文字能力や雄弁術や道徳的な判断力や外国語運用能力のすべてを、セツに要求しないどころか、そういった気負いや衒(てら)いからセツを解放し、心理的な「抵抗」をゼロにまで押し下げようとする一種の治療行為であった。(略)
むしろ、魔術的な舞台効果を用いて、相手をトランス状態に至らしめ、「霊媒」としての能力を掘りおこすこと。古代以来「巫女」たちが担ってきた言語的役割とは、明晰な自覚に基づいた言語表現よりも、はるかに「口寄せ」的な言語媒体能力の方ではなかったか。日常生活の中での発声から逸脱したセツの声が、どんなふうに「人間ばなれした声」へと近づいていったかについても、われわれはセツの回想をたよりに想像をたくましくするしかないのだが(略)。〉

 〈かつてのハーンが区分していた三つの様式―フランス文学の「翻訳」、すでに文字化された非文字文学の「再話」、非文字文学の「採話」―は、『怪談』の中でひとつに融け合い、独自の技法として結実したのである。もはやそこに逐語訳の正確さや言語収集家の職人的な厳密さなど入りこむすきはなかったが、「心によって習いおぼえる」(learn by heart)プロセスを通過した文学に、転写式の機械的な仕事にはない何かが付加価値として加わるのは、むしろ当然のことだろう。〉

 

本著は、ハーンがセツに課した「語り手」としての要求は、近代的な啓蒙主義とは反するものだったとする見方を提示している。啓蒙主義の立場からすれば、近代的言語教育の機会を与えないものと批判される側面を指摘しているのである。

一方、それは、古代以来の「巫女」たちが担ってきた「霊媒」的なものであり、『古事記』編纂において語りを「朗誦」したとされる稗田阿礼(ひえだのあれ)(西は女性説に立つ)の復活にも比している。そして、柳田國男が女性も民俗学に積極的に関わるよう促した運動を挙げて、ハーンのセツに課した役割は、女性自身による民俗学的営為の先駆けと解釈することも可能であると、敢えて「誤読」する見方も提示している。

ハーンとの関わりにおけるセツの「語り手」としての立場を、〈主体性〉と〈略奪性〉の両面から見ていくことの重要性を指摘していると捉えていいだろう。これは、口承文芸研究の視点としても、非常に重要な問題提起といえ、引き続き考えていきたいものである。