メンバーの根岸英之さん(市川民話の会)は、市川緑の市民フォーラムの会報『みどりのふぉーらむ』に「文芸からみる市川の自然」という連載を執筆しています。
市川は文化と自然が豊かなまち。その双方の視点から市川を再発見する情報が満載です。
当サイトで、連載のアーカイブ化を図っていきます。
文芸からみる市川の自然 2023年
99 源頼朝が立ち寄った笹屋うどん (188号 2023年2月)
100 100回を迎えた連載 祝連載100回 (189号 2023年4月)
101 水木洋子市民サポーターの皆さん (190号 2023年6月)
102 「絵本と生きものの会」誕生 (191号 2023年8月)
103 市川に通い続けた牧野富太郎(1) (192号 2023年10月)
104 牧野富太郎の市川での採集の様子 (193号 2023年12月)
『市川よみうり』2023年6月3日号 「市川の自然と文化のかかわり探求 根岸英之さん 連載100回」
NPO法人語り手たちの会『語りの世界74 今、何を語るか』(2023年2月)
「市川民話の会 地域の民話を〈語り〉で〈活字〉で〈動画〉」
戦さに敗れた源頼朝にうどんを献上した本行徳の〈笹屋うどん〉の伝説を紹介しました。
―その前史も回顧しながら― (189号 2023年4月) 祝100回連載のメッセージも掲載しています
2006年6月から始めた連載も、100回を迎えることができ、回顧の文章を寄せました。
また、祝100回連載のメッセージもいただきました。
―20年間お疲れさま!― (190号 2023年6月)
2023年3月に、水木洋子市民サポーターの皆さんが、活動を終えることになりました。市川市文学ミュージアムで開催された企画展とともに、その活動を紹介しました。
🔊水木洋子市民サポーターの会(市川市ホームページ)
https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/mizuki_sap.html
―大柏川第一調整池緑地を拠点に― (191号 2023年8月)
2023年4月から、大柏川第一調整池緑地ビジターセンターを拠点に、月に一回、「絵本と生きものの会」主催による「てんとうむしの会」(おはなし会)が開催されるようになりました。その経緯を取材し紹介しました。
🔊てんとうむしの会(おはなし会)のご案内(市川市ホームページ)
https://www.city.ichikawa.lg.jp/library/info/0000422416.html
―国府台・真間・じゅん菜沼が採集地― (192号 2023年10月)
植物分類学者の牧野富太郎(1862—1957)は、1881(明治 14)年5月25日に、市川市の国府台を初めて訪れ標本採集したと考えられ、19888(明治 21)年の上京以降は、毎年のように市川に通い続けていたことを調査し紹介しました。
🔊トピックス展「牧野富太郎生誕150年記念展」(千葉県立中央博物館ホームページ)
http://www2.chiba-muse.or.jp/www/NATURAL/contents/1521358228307/index.html
下の標本画像は、千葉県立中央博物館所蔵
―精力的な採集と引率指導など― (193号 2023年12月)
植物分類学者の牧野富太郎(1862—1957)の市川での初めての採集は、前号から調査が進み、1884(明治 17)年5月25日の二度目の上京のときと、訂正する形となりました。またどれほど旺盛に市川を採集して回ったか、市川の採集や訪問にまつわる人物などについて考察した結果を報告しました。
🔊https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=660468792964232&id=100070033514477
誤 田原「繋」次郎 →訂 田原「繁」次郎
下の標本画像は、東京都立大学牧野標本館所蔵
103から104にかけては、内容を補足しておきたいと思います。
東京都立大学牧野標本館 の標本は、同館のサイトより「東京都植物誌デジタル版」のデータベースに、「市川」「1868-1945」と入力してヒットしたものから、富太郎採集標本を抽出しました。その結果、235点の標本が確認できました。
🔊https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/id-4.html
左のデータは、標本番号52686のもので(2023年9月23日画像保存)、これを見ると、1881(明治 14)年5月25日に市川市国府台で「シラカシ」を採集したことになります。
ただ、念のため、この日付が正しいか2023年10月25日付で同館に確認したところ、同日の返信で、〈ラベルの採集日は「1884年5月25日」と記入されていましたので、東京都植物誌デジタル版での「1881-5-25」は入力ミスと判明しました。(略)次回のデータ更新の際に修正したいと思います。〉との回答を得ることができました。結果、104で訂正したような形となったわけです。
初めての上京でなくて残念ではあったのですが、こうして富太郎と市川の関わりを調べていくことで、牧野標本館のデータの誤りを発見することができたとも言えます。
2023年10月28日に開催された「第46回市川の民話のつどい」で話した「牧野富太郎が市川に来た話」は、上記の段階のことをお話ししました。
実は、東京都立大学牧野標本館 の市川標本データで、もう一つ、データの誤りだろうと考えられる標本がありました。
左のデータは、標本番号86071で(2023年12月10日画像保存)、これを見ると、1880(明治 13)年8月8日に市川市で「オニドロコ」を採集したことになります。
しかし、1880年はまだ上京前で、これは明らかにデータの誤りとして分析から除外しました。
標本番号86072として、1888(明治21)年8月8日に市川市で採集した別の「オニドロコの標本が所蔵されていましたので、「8」と「0」の誤りで、1888年の採集と考えられます。
この点については、このデータが正しいか2023年9月18日付で同館に照会のメールを送付しています。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001266/files/55789_52788.html
🔊「向坂道治と牧野富太郎の交流」 『やまとぐさ 第 4 号』(高知県立牧野植物園)
https://www.makino.or.jp/img_data/PAGE_science-report_16.pdf?8
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/plants100/presentor/m_nakamura.html
標本採集とは別に、1920(大正9)年から1921年にかけて、中山の田原繁次郎(たはらしげじろう)という人物の住まいをしばしば訪れる日記が見られます。
富太郎はこの頃、定期的に開催されていた「東京本草会」にも出席しており、1920年4月3日には、〈東京本草会(神田区錦町一番地。東京薬業組合事務所)午後本草会へ出席、田原氏とも席上ニ面会ス〉とあるように、「東京本草会」関連の知遇だったと推察されます。
田原氏の会社は亀戸にあり、亀戸にも訪れています。
こうしたことから推察すると、田原繁次郎とは、亀戸に田原製薬所を経営していた人物であったと考えることができます。
『旅と伝説』第1年8号(1928年)には、購読者として、〈千葉県 田原繁次郎〉と記載されています。同一人物かは確定できませんが、本草学などの興味から考えると、同一人物である可能性があり、田原が千葉県に住んでいた資料ということができます。
田原の調査に当たっては、「国会図書館デジタルコレクション」の「全文検索」を用い、ヒットした資料から、特定しました。
上の資料は、下記の書誌からの抜粋です。
🔊杉謙二 編『奠都五十年史』1917(大正6) 杉謙二 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/946337
『市川よみうり』に連載100回を迎えた取材記事が掲載されました。
🔊『市川よみうり』2023年6月3日号
http://www.ichiyomi.co.jp/top/2023_0601.html#1
市川民話の会の経緯や活動、YouTubeチャンネル「いちかわ民話の部屋」のことなどを紹介しています。
🔊「いちかわ民話の部屋」
https://www.youtube.com/@user-mx4xs9sj8h/featured