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小島豊美 子ども番組プロデュース裏話21~30



21 高見映(ノッポさん)

高見映(ノッポさん)とは五年程前にポンキッキ初動時の話を聞かせて貰いました。野田昌宏番組エグゼクティブプロデューサーの下の私などが知らない立ち上げ苦労話です。ノッポさんは構成作家としてポンキッキに関わっていたのでした。「看板の唄」や「ぼくが悪かった」は高見さんの詞です。

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22 まる・さんかく・しかく
確か昭和51年に制作した『まる・さんかく・しかく』は、初期のシンセサイザーを何とか使いたくて、ディレクターの注文通りにシンセの音を出すマニュピレーター(そういう職業があった)をスタジオに来てもらって、あーでもないこーでもないとキーボードやツマミをこねくり回して音作りをしたものだ。今聴くと全くおもちゃのような単純なスペース音だが当時はこんな音でも出すのが大変だった。
詞は番組のカリキュラムに沿ったもので数ヵ所直して採用した。この歌に関しては歌手はのこいのこに最初から決めていた。懐かしいや。

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23 ひらけ!ポンキッキ

昭和48年から番組はスタートしたのだが、私が退職した62年以降確か平成の当初数年までは番組名は『ひらけ!ポンキッキ』だったが、それ以降『ポンキッキーズ』『ピーキーズ』などと名前を変えて存続していた。(番組名はまだなんとかいくつかあったと思うが思い出せない)

『ひらけ!ポンキッキ』は幼児教育番組と冠をつけていて、フジテレビ内の幼児教育部のカリキュラムに則って制作していた。『いっぽんでもにんじん』『パタパタママ』などはそれぞれ助数詞や一日の時間というカリキュラムを元にした唄はお分かりと思う。

私が辞めた以降の番組はガチャムックをキャラクターとしてはいたが、私の時代と以降では精神が換骨奪胎され幼児教育番組とは明らかに違ったバラエティ番組になっていたので、まるで違う番組と言った方がよい。

平成以降はそんなこんなで民放の子ども番組の牙城はガラガラと崩れていって『母と子のフジテレビ』というキャッチフレーズから『楽しくなければテレビじゃない』(うる覚えだが)の時代に変わってからの凋落はすばやかった。

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24 いっぽんでもにんじん 

たいやき君とのカップリング曲の『いっぽんでもにんじん』のちょい隠れた話。

モノを数える数え方を助数詞といいます。分かりやすく書くと1本でも2んじん、2足でも3ダル、3艘でも4ットってな具合で数え方とモノを頭どりして揃えている名曲ですが、実はこれにミスがあるのです。

大ヒットした一年後、幼児教育の先生といつもの定例会議があって、その席で『小島さん、ロケットの数え方は機ですよ、5台でもロケットではなく5機です』と指摘されたのです。

ヒットも一段落したので、一応言っておきますということで大問題にはなりませんでしたが、今でも冷や汗ものの後日談。

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25 ドキドキドン!一年生

作詞は日立の『この木なんの木』や『seven eleven いい気分』などのコピーライターの大家伊藤アキラ。曲もコマソン界の大御所櫻井順。唄は槙みちるの娘の分家かなちゃん。絶対のヒット狙いで案の定ヒットした快新作。

この作品を作った頃は制作者としての自信みたいなものがあって、今聴くとある種のあざとさも気になるがとても良くできている。

この時期になると、ショッピングモールのランドセル売り場のBGMで聴くことがある。

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26 たべちゃうぞ 

ひらけ!ポンキッキのシングル最初の正式発売盤。品番はCX101。CX102がたいやきくん.いっぽんでもにんじん。

ポンキッキの前時間やっているピンポンパンの『ピンポンパンたいそう』の大ヒットに刺激されて、我がポンキッキチームとしてもカリキュラムにこだわった曲作りをしているとなかなかヒットを出せない、シングル盤のリリースを決めて楽曲作りをしようじゃないかとして、視聴者のお母さん方に詩募集して採用したのこの曲。

子どもを食べちゃうという刺激的な詩で、曲はデビュー前の吉田拓郎。放送開始とともにお母さん方の大反発を食らって1ヶ月で放送中断。歌のガチャピンこと矢澤邦江さんは、雨宮玖二子さんと同じ方。

片面のパンダがなんだは上野に来たパンダの人気に嫉妬したたぬきの唄。

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27 昭和のテレビ童謡クロニクル  

数年前に出した本ですが興味ある方は身近な図書館にリクエストして取り寄せてくださると嬉しいです。Amazonで購入できます。よろしくお願い申し上げます。

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28 山口さんちのツトムくん 

最近『みんなのうた』を聞く機会があって、番組は五分間に二曲聞かせる構成で、「おーブレネリ」「山口さんちのツトムくん」の昔の楽曲が流れた。久しぶりだったので山口さんの曲は自分も制作に深く関係したのでその裏話を少々してみよう。

作詞作曲はみなみらんぼうさん。ギターぽろぽろのらんぼうさんの仮歌のデモテープがなかなか味があって、歌尻りの「あーとーで、つまんないなぁ」が実に決まっていて、NHKの番組ディレクターに一押し推薦した。編曲は千代正行さん。

唄は通称N児、東京放送児童合唱団の子ども3人呼んでのオーディションで川橋啓史君、私が強く進言して採用。

上手く行く時は上手く行くものでアレンジ良し、唄のキャスティングよし。とんとん拍子でスタジオ録音完成。

ツトムくんの絵は田中ケイコさん。

この曲がヒットしたので続編の『ゆみちゃんの引っ越し』もその後作った。

制作に深くコミットしていたので川橋君バージョンは我が社で発売し、斉藤こずえバージョンはビクターだったような記憶が。いずれにしろ番組オリジナル歌手は私が押さえて制作した。

ディレクター冥利に付きる仕事だった。

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29 カンフーレディ 

ポンキッキの楽曲『カンフーレディ』のレディ役のT子ちゃん、失礼T子さんは当時売れっ子子役としてTVCMにも数多く出られていたが、ポンキッキの私との仕事辺りを潮時に、そういう世界から徐々に身を引き、今は良き伴侶に恵まれて三人のお子さんを持つお母さんだということ。

撮影でも歌どりでも頑張ってくれたT子ちゃんのおかげもあって、『カンフーレディ』は大ヒットをしたが、そういう番組を取り巻く浮ついた世情のなかで、私はT子ちゃんのお母さんのお人柄が爽やかな思い出として残る。

出しゃばらず、押し付けがましくなく、物腰も柔らかく、いかにも良家の子女がお母様になられたという感じで、T子ちゃんの成長を脇で見守りながら芸能界という荒波から社会性も学ばせようとのお考えのようで、何時でも盾として彼女を護りながらの立ち居振る舞いをされていた。

そのお母さんも数年前に亡くなったそうだが、T子さんからのメッセージ文にも上品な品格がにじみ出ていて、やはり家庭での子育てが本当に大切だなぁ、とくに母親と子どもの信頼愛情関係が確立していると子どもは伸び伸びと育つんだと改めて実感した次第。幼児教育番組ひらけ!ポンキッキの面目躍如。

それにしても、四十代の女性から「小島のおじちゃん」と書かれると、さすがにこそばゆい。

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30 おふろのかぞえうた  

番組カリキュラムの中でも数を数えるのはわかりやすく扱いやすいことから、十数曲一年に作る作品の中に一曲は毎年作っていた。どの家庭でもおふろのなかで数を数えて入ったことがあるはず。

シンバルの逆回転音使ったり、全部シンセサイザーで編曲の新しい試みをした最初の曲だったような記憶が。唄は作曲の佐瀬君本人。

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