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舞踏評論家 山野博大さん追悼 志賀信夫

【追悼】市川市八幡に長年在住した舞踊評論家、山野博大さんが、2021年2月5日、逝去されました。

追悼文とともに、ご紹介させていただきます。 


「追悼、山野博大さん」 志賀信夫

 舞踊評論家の山野博大さんが亡くなった。

 十数年のおつき合いになる。その間に多くの批評家とお会いしてきたが、最も多くお会いした方だ。それは、舞踏、コンテンポラリー、モダンダンス、バレエ、日舞など多様なジャンルの舞台に、最も多く足を運んでいるのが山野さんだったからだ。

 山野博大さんは、1936(昭和11)年生まれで、80歳を越えてもほぼ毎日舞台に通われていた。国立劇場の日本舞踊、新国立劇場のバレエ、現代舞踊協会主催のモダンダンス、さまざまな舞踊フェスティバル、数十名の小劇場で行われる舞踏まで、まさに足しげく通われており、本当にダンスが好きだった。

 その60年以上の活動による膨大な資料は、新国立劇場の舞踊データーベースの基礎になったとも聞く。文化庁などの舞踊関係の委員も多く務められ、さまざまな舞踊家の顕彰に関わられた。

 山野さんは同じ市川市にお住まいだったため、舞台の帰りにご一緒することもあった。インタビューをお願いしたこともある。そして、時折、お電話や舞台の前後などで、舞踏が誕生したころのモダンダンスの状況や舞踊家たちのことをうかがった。2007年に企画して編集・発行した『Corpus(コルプス)ーー身体表現批評』誌2号には、山野さんのインタビューが掲載されている。

🔊https://corpus-2.hatenadiary.org/entry/20070508

 

 山野さんが、2014年、舞踊家加藤みや子さんの企画で『踊る人にきく』(三元社)を刊行されたときには、お手伝いして、文章も書かせていただいた。

🔊https://www.amazon.co.jp/%E8%B8%8A%E3%82%8B.../dp/4883033554

 

 山野博大さんは、日本のバレエ創生期のスターで、『白鳥の湖』全幕を最初に踊った松尾明美(1919~2013年)に憧れて、この世界に入ったとおっしゃっていた。慶應義塾大学の舞踊研究会に所属し、他の批評家、舞踊家らと1960年に「二十世紀舞踊の会」を立ち上げた。うらわまこと、池宮信夫、市川雅など、当時の若手批評家たち、小杉武久らのグループ音楽、そしてさまざまな分野の舞踊家が、新しい表現を追求していたモダンダンスの邦千谷のスタジオに集まって、舞踊やパフォーマンス、トーク、シンポジウムなどを行った。そこには、大野一雄、土方巽など舞踏家も参加している。いわば前衛の坩堝のような状態だったろう。1940年代から舞踊を見て批評を書いている山野さんは、そういった前衛の活動にも関わり、戦後の舞踊史を、84歳まで見続けて生きてこられた。

 最近は足腰が衰えたと杖を持ち、それでも足場の悪い小劇場にも通われており、コロナになる前は週に何度も劇場でお会いした。最近、公演が復活しつつあり、またお会いするようになり、亡くなる前日も劇場でお姿をお見かけした。

 そのため急死の連絡には驚きを禁じ得なかった。まだまだ劇場でお話ししたり、戦後のモダンダンスの歴史など、うかがいたいことがたくさんあった。二十世紀舞踊の会が発行された雑誌の1~5号が復刻されたばかりで、もちろんそこに文章を寄せられている。

 いつもお声をかけると、気軽に何でも教えていただき、批評の言葉も的確かつ上品だった。偉大な舞踊批評家の急逝を心から惜しむ。

 山野博大さん、安らかにお休みください。           合掌

🔊https://www.facebook.com/ichikawahakkenden/posts/244797106981123


東京新聞追悼記事 🔊https://www.tokyo-np.co.jp/article/84661