· 

小島豊美 子ども番組プロデュース裏話11~20


呼びかけ人の小島豊美さんは、テレビで子供番組「ポンキッキ」「ぴかぴか音楽館」「みんなのうた」など、プロデューサーとして手がけてきました。

プロデュースしてきて制作の思い出話を披露していくFacebookページを開設しています。

当サイトで、連載のアーカイブ化を図っていきます。

🔊ポンキッキ・ぴかぴか音楽館・みんなのうた・元プロデューサーの裏話(Facebook) 

 

11 パジャマでおじゃま

12 ポンキッキガイド
13 アランパースンズプロジェクト  

14 草原情歌

15 おふろのかぞえうた

16 楽曲作り 

17 楽曲は詞が先 

18 はたらくくるま1  

19 宇宙船地球号のマーチ  

20 洋楽ポンキッキスポット 

 

🔊小島豊美 子ども番組プロデュース裏話1~10 

🔊およげ!たいやきくんプロジェクト 小島豊美さんとともに


11 パジャマでおじゃま

おかあさんといっしょの中で私がオリジナル曲に色濃く関与した曲が二曲あってひとつがこの曲。もう一曲は歯磨き上手かな。

当初ポンキッキでやろうと作詞榎木さん、作曲若月さんと試作したがポンキッキで何故か採用されなくて、急遽NHKに持ち込んで採用してもらった。当時の番組プロデューサーは近藤、増田さん両人だった。

この曲はすぐ評判をとり、その後バージョンを変えて録り直して、いくつもあるようだ。最初のロイヤルナイツバージョン以降の楽曲と番組の都合は知らない。現在も流れていると聞く。

このYouTubeは私が録ったものとは相当ちがうが、いずれにしても長寿な楽曲になって嬉しい。
(Facebookではリンク先が切れていますので、別の動画を紹介しています)

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=132262075211775&id=102337604870889


12 ポンキッキガイド
「母と子のフジテレビ」と言っていた時代の話です。
ポンキッキはちゃんと幼児教育番組を標榜していて番組カリキュラムがあって、専門家の先生方と言葉、数、社会、物の見方などテーマと表現演出方法を会議していました。
そして毎月月刊紙を出して報告をしていました。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=137546521349997&id=102337604870889


13 アランパースンズプロジェクト

曲作りで最も影響を受けたユニットがアランパースンズプロジェクトでした。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=143822067389109&id=102337604870889


14 草原情歌 

この草原情歌は「みんなのうた」での仕事です。中国というよりモンゴルのうたです。

馮智恵さんは「おかあさんといっしょ」で体操の指導をしていてそんな関係で、彼女からとても良い歌をやりたいと売り込みがあって作品にしたものでした。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=145457670558882&id=102337604870889


15 おふろのかぞえうた

コレも私お得意の数え唄です。お風呂で数を数えるのは習い癖。

この頃はコンピュータで楽曲を作るのは当たり前になっていて、エフェクトも全部パソコン上での作業。だんだん大きなスタジオは要らなくなってきた時代でした。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=149192620185387&id=102337604870889


16 楽曲作り 

①楽曲作りはテーマ発想・切口 などが発酵するまで時間かける。

②発酵したイメージを作詞家に依頼→数度のやり取りで完成。

③作曲依頼→スケッチやり取り→完成

①②③の間で歌い手決める

④編曲依頼→歌い手のキー、曲の調理方法などイメージを伝えて、スタジオ調整、演奏家を予算の中でキャスティング

⑤スタジオ作業前、つまり①②③④で9割方の仕事はおわっている。

※キャスティング間違えていると大概の仕事はダメ。後での手直しなどは大方失敗。

⑥社内根回しで宣伝、営業を乗せる作業。コレが一番大切。

こうして一連の作品を作ってきました。

私の仕事は例外なく詞先です。メロ先はありません。また、具体例は後日。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=150250656746250&id=102337604870889 


17 楽曲は詞が先 

私の仕事の流儀は必ず例外なく詞が先。メロディはあと。詞は自分の中で発酵してから納得するまでに時間がかかる。納得しなければ書き直しかそのままボツ。

流儀以前に音楽作りはそういうものと確信しているが、もちろんディレクターによってさまざま。シンガーソングライターの作品に口が出せるようになれたらもうイッパシといえるか。

いずれにしても歌を作る場合、テーマはディレクターの中にあって、初めて諸々動き始めるのです。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=153122453125737&id=102337604870889


18 はたらくくるま1 

番組担当プロデューサーとして、最晩年の仕事です。乗りものは子どもたちの憧れで、乗りもの図鑑をコンセプトにした曲です。車にもいろいろ働き方が違うという私のアイデアと切り口を作詞の伊藤アキラさんが上手く詞にまとめあげてくれました。曲は越部信義さん。息のあったトライアングルです。唄は最初からのこいのこを決めていて、案の定評判を呼ぶことができました。私が番組卒業して続編が何曲からできましたが、私はタッチしてません。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=155469019557747&id=102337604870889


19 宇宙船地球号のマーチ 

番組は幼児教育番組を標榜していたから歌作りにもカリキュラムの制約があったのと、番組プロデューサーがSF界の大元帥と言われていた野田昌宏の強力なリーダーシップもあって、未だ当時ちんぴらディレクターだった私は右往左往の情況だった。

SFの大家の野田さんが光の速度は地球を7回転半を歌にしたい、なんかやろうぜという号令で艱難辛苦の末に出来たスペースオペラです。

早稲田アバゴスタジオでの思い出です。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=159015035869812&id=102337604870889


20 洋楽ポンキッキスポット  

番組で初めてビートルズを聴いたという声をよく聞く。ソレらは番組構成上、多面的なものの見方を短く紹介するスポットというコーナーでのことで、おそらく何千とバージョンを作ったはずだ。これらの音楽を担当していたのは畏友の長谷川龍(noise代表)の仕事で、映像のシーン替わりと音楽がぴったり合うように選曲して編集した彼のセンスによることが大きい。

私はオリジナルの曲作りで幸いにも大ヒットにも恵まれたが、実は番組の評価を高めたのは長谷川龍の功績こそが大であったと思う。

私が隅田川の向こう側の墨田区両国、長谷川は手前の台東区鳥越の下町育ちで歳もいっしょ。10年以上一年365日の4/5は一緒に仕事をしていた勘定か。無二の親友だ。

番組は映像チームと音楽チームのせめぎ合いで、番組を振り返って時間を経てみて小島・長谷川コンビの音楽の印象が強いようだが、映像チームにも相当の強者がいて、両者の綿密な打ち合わせの結果こういう作品が生まれたのだと言っておかねばならない。

梁山泊海千山千の才能の集団が当時の番組を制作していたわけだ。私たちの弟子筋がNHK教育でセンスを引き継いでくれている。

🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=163241435447172&id=102337604870889

🔊https://www.youtube.com/channel/UCejXk41lO6AZU_cvOUlgX6A