呼びかけ人の小島豊美さんは、テレビで子供番組「ポンキッキ」「ぴかぴか音楽館」「みんなのうた」など、プロデューサーとして手がけてきました。
プロデュースしてきて制作の思い出話を披露していくFacebookページを開設しています。
当サイトで、連載のアーカイブ化を図っていきます。
🔊ポンキッキ・ぴかぴか音楽館・みんなのうた・元プロデューサーの裏話(Facebook)
昭和48年まだ番組が開始して間もない時期、エグゼクティブプロデューサーの野田さんの下、海千山千のディレクターがかき集められた。まるで梁山泊だった。
私はレコード会社側から音楽制作の面倒を見ろということで番組担当となった。前にピンポンパンがあり、ピンポンパン体操が当たった頃だったように思う。
ポンキッキは幼児教育番組を標榜していて、曲がりなりにも数、言葉、社会というようなカリキュラムがあり、歌作りもそのカリキュラムに準拠した方針であった。
宇宙船地球号のマーチはSF界の巨匠野田さんのコンセプトで野田人脈の作家で、私は何もしていない。スペースものでは「地球を7回半回れ」とか「鳥になりたいな」などがある。アルバム用に曲をため込むための一曲で早稲田アバコスタジオ4トラック録音だった。初期の名曲には違いない。
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ひらけ!ポンキッキとポンキッキーズ以降の番組は全く別物で、私が番組卒業した1987年以降3・4年は幼児教育番組を名乗っていた。それ以降は単なる子どもバラエティ番組だった。
私はアンシャンレジーム(旧体制)の頭目みたいなもので、音楽は私の色が付きすぎたのかもしらん。それにしてはわたしが制作した曲をかけ続けていた。
番組当初(たい焼き以前)の作品のなかでも「信号の唄」は傑作だ。高見映作詞。曲は越部信義。初期に輩出した歌の中でも秀逸で私のお気に入りだ。
今聴くと、女性chorusの伊集加代子の声が際立っているね。2ch録音。
映像は番組とは違っているが、歌はオリジナル音源でした。
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〜 ピッカピカ音楽館をはじめたのは、1988年4月から(確か)番組しょっぱなだから明らかにヒット狙いで作った第一弾。子ども用ラップソングのつもり。
まぁこの頃は何を作ればどうなるという方程式みたいなあざとく言えばある種のノウハウ感覚があって、思った通りに仕上がって思い通りの反応があった。一種の思い上がりだと思うが、ある種の自信でもある。このあと続々と連作した。
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ポンキッキは幼児教育番組を標榜していた。実際フジテレビには幼児教育部があって、カリキュラム委員会には大学幼児教育や発達心理学の先生が数人おられて、テーマに対しての表現方法に意見を言う建付で仕事をしていた。
例えば数を例に出すと、数え方とか、2と3で5のような足し算や、●▲■の色分の分類とかいろいろあって、子どもの認識や発達度合いによって切り口のアドバイスなどがあった。制作者側と先生方の定例会もあり、発表した作品にコメントなども貰った。
とりわけスポットと言われていた短いコーナーでは我々は相当遊ばせて貰った。ビートルズを聞いたのはポンキッキでしたというご意見をよくきくが、コレは作り手側のSenseというもので、このコーナーを担当鮮烈な記憶を残した功労者は我が生涯の友長谷川龍である。
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ポンキッキの教育セットを1978-80年に制作した。絵本とカセットと遊具を組み合わせた番組カリキュラムに準拠した教育セットで、高額にも拘らず大変に売れて自分の給与にも跳ね返った。
この曲は番組用ではなく、教育セット用に作ったのだが番組に映像をつけて放送もして貰った。そういう唄には他にアップルパイツアー、もものハートなどがある。
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1981年のオープニングから数分の番組だが、いろいろ語ることがありますね。
オープニングのゴダイゴとは曲は満足度100%。一口坂スタジオお披露、確か1977.78年頃本格的な営業開始前にスタジオのモニターを兼ねて特別価額で借りて、加橋かつみのエンディング曲と二曲を3日かけて収録した。歌詩は番組ディレクターの三輪道彦と私の補作。なかなかよくできました。満足するできでした。当時スタジオの録音責任者の巨匠黒田ミキサー直々のミキシングだった。
中に出てくるABCのうたは未だブレイク前の佐久間正英くんのアレンジ。ミュージシャンと子ども集めはFB友の内田君の仕切りだった。佐久間、ダディ竹千代などは私との仕事が多少は役立ったはず。当時最先端のテクノポップ仕上げで評価をいただいた。
お姉さんが上から読んでも下から読んでもキツツキのコーナーは今のピタゴラスイッチ演出をポンキッキがやっていた証拠。いやはや私には懐かしい!今我らの感覚を引き継ぐひとが現れて欲しいね。
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番組開始当初は、幼稚園でモニターをしながら番組のカリキュラムの表現方法を子どもたちがどういう反応をするかをチェックしながら、反応のつよいところや弱いところなどを演出を変えながら試行錯誤していた。
歌つくりは「くとへのうた」のようにくの字がヘの字になるねとか、子どもの生活を題材にするとか、数の歌とか、それはそれとしてつくっていたが、到底レコードにできる内容の歌でなく、そこにわたしが投入されたのだった。
「空飛ぶさんりんしゃ」は、子どもは空を飛ぶのが憧れでもあるから、という簡単な発想からの曲。いっぽんでもにんじんコンビの高田ひろお作詞、佐瀬寿一作曲、なぎら健一うたのコンビの記念すべき第一弾。
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私の番組での最後の仕事になる「からだ元気」。シングルのカップリング曲は「はたらくくるま」。いちどは子ども用レゲエ曲を作りたいと思いながらなかなかそのチャンスがなく、佐藤アリスの詩を見て、閃いた作品でした。四谷三丁目にあったサウンドターミナルというレゲエ専門店に出入りしていた東海林ケイスケに曲を依頼して併せて歌って貰った。
ボブ・マーリーもまっ青になる出来映えで、今でもえらく気に入っている一曲です。
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いっぽんでもニンジン 田島ムーズ画
いっぽんでもニンジン にそくでもサンダル
さんそうでもヨット よつぶでもごま塩
ごだいでもロケット ろくわでも七面鳥
しちひきでも蜂 はっとうでもクジラ
きゅうはいでもジュース じゅっこでもイチゴ
助数詞の頭ドリに気づいてから制作は早かった。詞がいつの間にか私の中で発酵するのです。これは制作者冥利につきる作品でした。
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