いちかわ発見伝発足のきっかけのお一人となった、麻生珈琲店の麻生洋央さんは、知る人ぞ知る、珈琲カップのコレクター。
そんな麻生さんのコーヒー豆知識やカップコレクションを、麻生さんが解説してくれます。
店内にもレアなコーヒーカップが展示されています。
いちかわ発見伝では、麻生さんが語るコーヒーにまつわるお話を、ご承諾を得てシェアさせていただきます。
🔊里帰りカップ資料館(2020年3月8日閉館)
1 コーヒーの歴史①
2 コーヒーの歴史②
3 お茶の歴史
2020年3月8日里帰りカップ資料館は閉館しました。
16年間のご支援ありがとうございました。
10月30日撤退完了しますことお知らせ申し上げます。
3月に閉館を決めてから6ヶ月間片付けせず居りましたが、意を決して引越し始めました。
珈琲店脇の三角倉庫に展示ケース10台移し、勝浦第二麻生邸に分散、どうにか引っ越し終わりました。
長い間応援ありがとうございました。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3854193197941416&id=1577378088956283(2020.10.28)
コーヒーは一千年も前から、エチオピアのアビシニア高原に自生していた。
その後、アラビアに渡り、アラビアを中心にイラクからエジプト、トルコの回教寺院に長い年月秘蔵された後、イスラム諸国の庶民へと普及してゆき、メッカ、メジナ、シリア、ダマスカスへと広がり1511年カイロ、1554 年コンスタンチノーブル( イスタンブール)に、それぞれコーヒーハウス第1号がオープンした。
トルコを中心に発達したいわゆるトルココーヒーは1615年イタリアのベネチアに伝わり、1644年フランスのマルセイユ、そしてオランダ、イギリス、ドイツへと伝わっていった。
ドーバー海峡渡ったコーヒーはオックスフォードに1650年、ロンドンへは1657年に珈琲店が開業された。1660年にはイギリスだけで3000店以上のコーヒーハウスが誕生した。
アメリカには1689年ボストンに上陸し、1696年ニューヨークへと伝わり、それからアメリカ全土に普及して、世界最大のコーヒー消費国となった。
15世紀から17世紀にかけてのトルコの家庭でのコーヒーは、コーヒー粉を把手の長い小さな金属製鍋(ジャズベとかイブリック)に入れ水から煮だし、濾過せずに上澄み液を飲む抽出コーヒーでアラビア風、トルコ風と言われているものでカップの容量は50〜80ccの把手のない、猪口風カップであった。
トルコ式コーヒー(ターキュシュコーヒー)は濾さない(浸漬法)コーヒーでクローブやカルダモンなどのスパイスや砂糖を入れ、アラブ圏で広まったがヨーロッパでは、コーヒーに混ざるカスを嫌い濾過し、刺激的な苦味を和らげ、香りや口当たりの良いものを求めて、ミルク、ハチミツ、砂糖を入れ飲むようになった。
1760年頃にはドリップ式など抽出法が開発され、透過法による大量抽出できるコーヒーアーンやドリップポットが開発され1840年頃にはサイフォン式、19世紀後半には水蒸気の圧力による急速濾過抽出するエスプレッソへと発展し、コヒーの世界を広げ、コーヒーカップの形や大きさに影響を与えた。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357018271311946&id=100010113574672(2020.12.8)
トルコから伝播ヨーロッパそしてアメリカへ
トルコを中心に発展したトルココーヒーは、17世紀ヨーロッパに広まっていった。
1615年 イタリアのベネチア
1644年 フランスのマルセイユ
そしてオランダ、イギリス、ドイツ、オーストリアへと伝播した。
1645年 ヨーロッパ最初のコーヒー店フローリアンがベネチアに開業
1650年 イギリス初のコーヒー店
1660年 イギリスのコーヒー店は数千店に達した。
1689年 アメリカのボストンに上陸
1689年 フランスのパリ カフェ、ド、プロコブ開店
1696年 アメリカのニューヨーク
1710年 にフランス人は初めてコーヒーを煮出すのではなく浸出する方式を採用
挽いたコーヒーを布袋に入れ、そこに湯を注ぐ方法
甘みを付けたコーヒー入り牛乳カフェオレをフランス市民は朝食に飲む習慣が生まれた。
1760年 イタリアのアンチェコ、カフェ、グレコ開店
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357117174635389&id=100010113574672(2020.12.8)
中国の歴史の中で、お茶が登場するのは、神農の逸話からと伝えられており、紀元前2700年頃の神農時代という。漢の時代すでに飲茶の習慣が有り茶の売買が行われていた。宋の時代お茶は貴族から役人や文人など裕福な市民のものとなり明時代には喫茶の習慣が一般市民へと普及した。清の時代になると中国茶葉や茶具はほぼ完成して茶文化は最盛期を迎えた。
ヨーロッパへお茶を商品として紹介したのは、オランダ東インド会社で1607年マカオから緑茶を載せ、1610年転送し、上流階級の人々や、東インド会社役員の独占的飲み物で、一般の人々には、渡らなかった。
オランダに一歩遅れてイギリスに商品として茶が渡ったのは、1637年イギリス東インド会社商船が広州から茶50キログラムを運んだのが始まりである。
初期には、中国産の釜炒り緑茶と、ボーヒーと呼ばれる下級ウーロン茶であり、18世紀には、インペリアルという高級緑茶と、安い釜炒り粉末緑茶が多かった。
17世紀中頃では、磁器を自慢しながら、茶を飲むパーティーが上流階級で流行し、消費が増えて輸入量が年々増大した。
その後、イギリス市場では、酸化発酵度の強いものが人気であったため、中国では、製茶工程を改良してより強い発酵の工夫茶を作った。
18世紀末には、緑茶やウーロン茶から、工夫、紅茶全盛時代を迎え、中国ではキームン紅茶が発生し、独特な紅茶文化を作りあげた。
カップも緑茶やウーロン茶の小さくハンドルのないテイーボウルから200cc前後の紅茶カップへと変化しハンドル、ソーサー付きとなっていった。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357018921311881&id=100010113574672(2020.12.8)
1602年に設立されたvocオランダ東インド会社は、香料、絹、茶などの他ヨーロッパでは未だ製造されていない東洋磁器の輸入に力を入れ、インドネシアのバタヴィアを中継地として磁器などの輸入貿易を発展させた。
明国から清国へと移る動乱期、中国の景徳鎮からの製品が途絶えたときその頃、日本の有田地方で磁器焼成に成功したので、中国製品の代替品として貿易が始まった。
その後伊万里製品の人気が高まりヨーロッパから大量注文が来た。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357095754637531&id=100010113574672(2020.12.8)
1660年頃の貿易初期のコーヒーカップやティーカップにはハンドル(取っ手)は付いて無く、ヨーロッパではコーヒーボウル、ティーボウルと呼ばれているもので、日本では猪口、ぐい呑、煎茶椀などとと呼ばれてるものである。ハンドル(受け皿)は付いて無かった。
この時代コーヒー用、茶専用カップの区別は無く兼用カップであった。
現在のようなコーヒーカップ、ティーカップの、型が出現する以前の器である為、様々な形状の器が選ばれたと思われる。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357368084610298&id=100010113574672(2020.12.8)
日本製貿易カップ
大航海時代を過ぎた17世紀中頃、期を一にしたように全世界にコーヒー、茶、チョコレートなど、喫茶の風習が伝わった。
その頃完成したそれらの飲用スタイルは、いまだにほとんど変化しないまま受け継がれている。
これらの飲用スタイルを語るには、器の生産国や製造技術だけではなく、その飲み物の歴史と伝わった国々の文化や風習、経済力や国民性などを考慮し同時代に流行した嗜好品である茶、紅茶、コーヒー、チョコレートを無視することはできない。
中身があって初めて、それ専用の器が生まれる。
アラビアコーヒーにはアラビアコーヒーカップ。中国緑茶には中国緑茶カップ。チョコレートドリンクにはアステカ風カップと最初は飲用発生地のもの、又はそれに近い代用器が使用された。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1357111701302603&id=100010113574672(2020.12.8)
1670年頃からカップと同じ絵柄のソーサー(受け皿)が出現する。有田の柿右衛門窯のカップアンドソーサーである。
1700年頃まで世界中で飲用されていたコーヒーはトルコ、アラビア風のコーヒーだった。手付きの小さな器に水とコーヒー粉を入れ煮出し、小さなカップに注ぎ上澄み液を飲むスタイルであった。
ヨーロッパではまだ生まれていない磁器のカップは王侯貴族を虜にし大量に貿易された。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1358276587852781&id=100010113574672(2020.12.8)
この当時イギリスやオランダでは薬やハーブティーなど飲む際に、ポリンジャーという金、銀など金属で作られた手付き深皿を使用していた。
中国や日本から伝わったお猪口のような小さな器から飲む風習がなく、小さな器は持ち辛く飲みづらく、また熱く感じられ、ポリンジャーのような形状の磁器製の深皿を注文した。
そしてコーヒーボウルから深皿に移して飲むスタイルが生まれた。受け皿は当初飲む器だった。
🔊https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1359585391055234&id=100010113574672(2020.12.11)















