市川街歩きの会(原田良博代表)による「第7回市川街歩き(国分~国府台編)」が下記の通り開催されました。最終的に参加者が53名と大人数でしたが、お陰様で怪我人も無く、無事にイベントが終了出来ました。これも参加者の一人一人の心掛けとスタッフの方々のご尽力の賜物です。
いちかわ発見伝のメンバーも数名同行しました。
いちかわ発見伝では、市川街歩きの会との連携プロジェクトとして、記録のアーカイブ化を行っていきます。
日 時 :2020年11月7日㈯ 13:00出発
集合場所 :北総鉄道 矢切駅改札口(改札口は1か所です。)
予定コース:矢切駅~じゅんさい池~下総国分尼寺~下総国分寺~
里見公園~根本排水機場~市川関所跡~JR市川駅
17:00JR市川駅で解散
今回の街歩きは、松戸市との境界付近にある北総鉄道矢切駅から市川市北西部の国分と国府台を中心に歩きました。この辺りは地形的にもスリバチを堪能出来たり、歴史的にも大変興味のある地域です。
「武人たちが歩いた国府台」をサブタイトルとし、今回は主に岡田公治さんに解説をお願いしました。
また、スペシャルゲストとして市川市の四季折々の素敵な写真を撮り続けていらっしゃる写真家のshun shiraiさん、「TH叢書」ライターで編集者の志賀信夫さんをお迎えしました。
🔊市川街歩きの会
https://www.facebook.com/groups/1273312519435216/about
https://www.facebook.com/events/1239252643085110
地形図
大字小字地図
近隣情報/寛文八年銘庚申塔・西蓮寺展望台・野菊の墓文学碑・西蓮寺・
市天然記念物大銀杏・
じゅんさい池・国分沼姫宮・鏡石・六反田谷津・
国分寺七重塔・下総国分尼寺・北台・根古谷庚申塔・
国分寺(国分僧寺)・国分五郎胤通墓・宝相華文鐙瓦・
平川用水路・三体地蔵尊・
陸軍教導団・市川戦争遺跡①・
里見公園・里見八景園・国府台城址・市川市最高標高地点・明戸古墳・
『鴻台とね川』・羅漢の井・里見群亡碑・
水戸佐倉道分間延絵図・小岩市川の渡し・小岩市川の関所・江戸川沿いの関所・
辻切り
街歩き解説スポット
10 根本排水機場
11 市川関所跡
街歩き解説スポット
また、2度に渡る国府台合戦の舞台でもある。
https://www.matsudo-kankou.jp/bungakuhi/
🔊西蓮寺(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%93%AE%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E6%88%B8%E5%B8%82%E4%B8%8B%E7%9F%A2%E5%88%87)
http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1321000001.html
http://www.komainu.org/chiba/itikawasi/AtagoKitakokubun/atago.html
国分尼寺は、741年(天平13年)の聖武天皇の命令で、国分僧寺とともに各国に建てられ、10人の尼僧が置かれた。国分尼寺の正式名称は法華滅罪之寺と言い、人々がおかした罪を消滅させる願いが込められていました。
国を治める国守の任務の中に、国内の神社を毎年巡拝するという事がありましたが、大変な仕事なので、国府の近くに諸社のご神体を合祀し、巡拝を簡略化しました。この斎場が総社または六所神社とされています。この辺りは六所の森とも呼ばれていました。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1541000011.html
昭和33年、市川市は2度に及ぶ国府台合戦を記念するために、一般の人々憩いの場として里見公園を開設しました。敷地内には、1479年(文明11年)太田道灌が築いたといわれる国府台城跡、北原白秋が小岩にあった離れを復元した紫烟草舎、里見一族が布陣の際に飲用水に使用したと言われる羅漢の井、1829年(文正12年)国府台合戦で戦死した里見軍を弔う里見群亡の碑、古墳時代(6世紀後半~7世紀初頭)この地に勢力をふるっていた豪族の墓と思われる明戸古墳石棺、市川市最高標高地点などがあります。
https://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00239.html
1616年(元和2年)江戸幕府により小岩市川渡しに番所が設けられ、万治年間(1658年~1661年)に関所になりました。関所では「入鉄砲に出女」だけでなく、船の往来も監視しました。1869年(明治2年)に関所は廃止され、1904年(明治37年)小岩市川渡しは廃止されました。
1905年(明治38年)に江戸川初の木造橋として、江戸川橋(市川橋)が架けられました。
https://www.travel.smileandhappiness.net/ichikawanosekisho.html
今回、じゅん採池緑地を歩き、東側の台地上にあった西練兵場北側(小塚山公園寄り)の「三角山(さんかくやま)」をご存じの甲斐久也さん(国府台小学校出身)から、子ども時代に遊んだ思い出話と見取り図を提供していただきました。今後の貴重な史料になると思います。
〈一部の方には現地で簡単に説明しましたが三角山は昭和37,8年頃まで存在した陸軍の射撃場です。現在は住宅地化して跡形もありませんがこの頃の子供たちの格好の遊び場でした。〉





















